100年に一度の大震災とかで、団塊世代は定年後の再雇用もなにやらあやしい状況になりつつある。とはいえ、老後への不安を消せはしないし、左うちわで暮らせるほど、金銭的にも精神的にも、ゆとりがあるわけではない。なによりも、社会に必要とされる人材として、まだまだ働いていたいというのが、多くの人たちの希望だろう。
であるならば、自分で働く場を作り出すしかない。だが、定年後の「起業」は難しい。今さら必死で生活費を稼ぐ必要もない。となれば、年金をもらいながら自分のペースで、働く喜びを噛みしめつつ、小遣い程度を稼ぎ出せるような仕事はないものか。しばし、そんな夢のような可能性を探ってみることにしよう。
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●団塊世代は経験豊かで低賃金な労動力
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団塊の世代という名称の生みの親・堺屋太一さんが、少し前に新聞の経済欄で興味深い発言をしていた。少し長いのだが、その部分を抜粋して紹介する。
「これからの日本経済には二つの利点がある。
一般には、この二つはマイナス要因とされているが、実は違う。(中略)09年には団塊の世代のすべてが60歳代となり、年功序列終身雇用の賃金体系を卒業する。このことは、経験豊かな労働力が年功にとらわれない低賃金で大量に供給されることを意味している。これを上手に活用すれば、企業はきわめて有利な経営環境を作り出せるはずである。これには前例もある。タクシー運転手だ。かつて若者の職場だったタクシー運転手が、今では年金併用で生計を立てる高齢者に代わったことで、低賃金でも可能になった。これから多くの分野で同様のことが生じ、企業は利益を、消費者は物価安とサービス向上の恩恵を受けるだろう。」
タクシー運転手に関しては、厳しい過当競争の中にあり、諸手を上げて納得とは言えないけれど、なるほど、団塊世代に関しては、そういう捉え方があるのだと感心した。社会一般の考え方からすれば、団塊世代は老いて現場から去っていく人たちであり、有効な労働力とは考えないだろう。当の団塊自身も、自分のことをそんな風に考えたことはなかったのではないだろうか。
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●リタイアしたからこそできること
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「年功にとらわれず、経験豊かで、低賃金、しかも大量な労働力」。これだけを見たら、まさか、団塊世代のこととは思わないだろう。そんな人材がいるのなら、しばらくは日本の労働力には問題がないような気もしてくる。外国人を取り込む必要もないようにも思える。
では、これだけの有効な労働力が活躍できる場所はどこにあるのだろうか。社会はまだ、堺屋さんのようには考えないので、どんなに経験豊かで、低賃金で働こうと、リタイアした人が働く場を確保するのは難しい。また、たくさんいればいるほど難しい。定年という線引きがされた途端、現役とリタイア世代の間には大きな溝ができるのだ。
まして、働きたいという意欲は高くても、もう一度、組織の中に取り込まれて働きたいと思わない人たちもたくさんいる。組織の右肩上がりの強迫観念で働くのではなくて、社会全般を見通しながら、自分の立ち位置を見極めつつ、緩やかに働くという方法もある。むしろ、こちらを選んだほうが得策だ。そういう働き方を選べるのは、リタイア世代だからこそである。
ここでは、そのような働き方のひとつとして、「ミニベンチャー」を提案する。「マイクロベンチャー」といってもいいかもしれない。「ベンチャー」というと、いかにも、やり手のバリバリ起業家という感じだが、ミニだから、もっと気楽でいい。ファンドから資金を調達するような無理は禁物。身の丈にあった資金で、身の回りのできることや、やりたいことから始める。
大事なのは、なによりも自分自身が満足感を得られること。そして、ミニだから、収入もミニ。多くは期待しない。小遣い程度に入ってくればよしとする。それでも、収入ゼロよりは、貯金を取り崩す分が少なくなるので、メリットはある。もちろん、大きく儲かれば、それに越したことはない。でも、やはり無理は禁物。
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●副業のつもりで考えてみる
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どんなことがミニベンチャーとして考えられるのだろうか。ヒントは「副業」だ。今や、現役世代でも副業に勤しむ人も少なくないらしい。多くは会社に内緒でやっているが、中には、社員の副業を許している会社が出てきた。テレビを見ていたら、夜間のタクシー代行運転、休日の観光案内、空き時間のデータ入力などの副業が登場していた。現役世代は、それで給料が減った分を補填しているのだ。
リタイア世代にはもはや本業はないのだが、“副業をするとしたら”と考えてみるのはどうだろうか。そうすれば、妙に余分な力が入ることなく、自由に発想することができるかもしれない。
堺屋さんのコラムにタクシー運転手が出てきたので、例として、タクシー周りで考えてみることにしよう。タクシー運転手は個人タクシーの認可を取るという手もあるが、それなりの経験が必要だから、多くは雇用だ。雇われるのではベンチャーではない。
以前取材した人に、一人で介護タクシーを始めた人がいた。タクシーの新規参入は難しいが、介護タクシーの認可は比較的緩やか。開業後、周辺地域に浸透するまでは苦労したものの、半年ほどで顧客も付くようになり、自治体の支援も始まって、経営は軌道に乗ってきたという。この人は車の運転が好きで、車も大好き。車に関連した仕事で、社会貢献できることはないかと考え、介護タクシーに行き着いた。1日4件の送り迎えが精一杯で、収入は多くはないが、感謝される喜びを感じている。
車といえば、今後は高齢者の免許返上が増えるだろう。介護タクシーはまだ必要ないし、家族の車はあるので、お抱え運転手のような人をほしいという要望も生まれるかもしれない。小さなビジネスのタネは、意外に身の周りに転がっているのではないだろうか。
とはいえ、変化して行く社会の動きを、経験ある世代ならではの視点で捉えれば、新しいシーズやニーズが見つかるかもしれない。そう簡単ではないが、小さな種でも、やってみようと思う人の知恵やスキルが加わることで、可能性は広がる。だから、ベンチャーなのだ。
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●やり残した趣味を思い出す
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最初は、まず趣味から。誰にでも、事情が許さなくて、できなかった、まっとうできなかったというものがある。それを再現・実現できる方法はないかを考えるのも一つだ。例えば、趣味で集めていたものはないだろうか。それを復活してみることから始めてみる。この時点では、まだ趣味の域。それでは、まるで趣味やボランティアのようではないかと思った人もいるだろう。まったく、その通り。しかし、趣味やボランティアを侮ってはいけない。定年後にじっくり取り組める仕事を見つけた人の多くは、趣味やボランティアが始まりという例も多いのだ。
ただし、集め出したら徹底的にやること。どんなものでも、ある数以上を集めたら、立派に収集家と名乗ることができる。そこに分類や調査・研究、うんちくが加われば、もはやその道の専門家である。そんな収集家は、万華鏡、ホーロー看板、マッチ、アジアの蝶、和楽器、駅弁の掛け紙、世界各国の貝殻、絵画、バス降車ボタン・・・。
- 身の回りのことから気楽に取り組む
- 自分自身が満足感や充実感を得られる
- 身の丈にあった資金で始める
- 小遣い程度の収入で良しとする。
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●大切なのは広報・告知
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活動を多くの人に知らせる広報活動が必要だ。ホームページを作る、地域のFMラジオやケーブルテレビなどから始めて、マスコミ関係にアピールする。さらに、自宅を改装して、収集品の博物館を作る。チラシを作って、配る。そのうち、入場料をもらうようになると、ここからは仕事の域だ。
収集品に関するセミナーや講座、ワークショップを開く。企画展を開催する。メールマガジンや会報誌を発行する。そして、ためた情報やうんちくを本にする。本が話題になれば、キー局のテレビ番組への出演依頼もくるかもしれない。名刺には「○○○○研究家」などという肩書きを刷ろう。さらに、可能であれば、その趣味に関する「検定試験」を企画してはどうだろうか。
何を夢のようなことを言っているかと思うかもしれないが、このコラムは「楽しむ」ことを大切にしている。だから、もしも実現しなかったとしても、一時楽しい夢に浸ることも悪くはないのだ。それに、先にも書いたように、すでに実現している人は大勢いる。違いは、やるか、やらないかだけだ。
このようなPR手段は、収集品だけに限らず、どの仕事にも通じる。そして、最低やらなければならないことだ。そこに、自分なりのユニークなアピール方法がプラスされれば、さらに認知度は高まるだろう。